ホンダコレクションホール(二階の展示①)

 こんな休日のネタを土曜日に出しますと、なんだか遊んでばっかじゃないか(泣笑)と思われる向きもあろうかと存じますが、練馬の本社では、今週火曜日に継続車検を取った「世田谷のO」さん号と、翌水曜日に再検査を無事突破した「中央区のT」さん号に御依頼のあった作業項目をすべて施しまして、納車日を確定すべき段階まで進んでおりますうえ、只今は「高崎のK」さん号をリフトアップして、エンジンの再度調整と下回り整備に取り掛かっております。ワタシの方は、メカトリエの工房棟に籠って雨宿り・・・じゃなかった(笑)、昨日の夕方、久しぶりのエンジン始動に成功した「神戸のK」さん号の細部仕上げと艤装組立を行い、予備検査に送り出せるよう段取りを調えているところです。

 本日は土砂降りでしたが、こんな全天候型の施設ならイイなぁ・・・

二階への階段を上りますと、ホンダ製を中心に二輪市販車がズラリと並んでおります。
ホンダドリームCB750FOUR。“ナナハン”と云う言葉を生み出したマシン。
サイドカバーにウイングマークを持つ最初期型は、“K0(ケイゼロ)”と呼ばれます。
そんなに売れると思ってなかったのか、K0のクランクケースは砂型鋳造でした。
間違いなく動態保存車だとは思いますが、オドメーターは僅か5キロ(笑)です。
初代ホンダカブセットをその辺の実用チャリに付けるとこうなりますヨの見本。
コレで、どのような走りが出来たのか・・・左に重心が集中してるのが気になる。
当時のキャンペーン風景。こうして“カブガール”たちが全国行脚してたんでしょうね。
昭和20年代に全天候型二輪を極めようとしてウケず、ホンダを傾かせた黒歴史(泣笑)。
ホンダジュノオ(初代)。現在走ってる出〇館スクーターの源流と云えましょう。
このなんともビミョーなメタリック色が独特のデザインも相まって空想未来的。
操縦桿?はステアリングホイールのホイール部分を取ったような意匠です。
隣には、グッと実用的なムードになった二代目ジュノオ。高速道路も走れます。
そして、「おぢさん(50代以上向け)ホイホイ」なコーナー。
当時高校生だったワタシら世代にはジャストミート(笑)な、パワー競争の時代。
その火付け役は、1980年のヤマハRZ250(水冷2サイクル35馬力)。
ホンダは4サイクルV型2気筒から35馬力を絞り出したVT250Fでスグ応戦。
一旦4サイクルメーカーの意地を見せ、さらに2サイクルの方でも巻き返しをと。
ホンダMVX250F。水冷2サイクルV型3気筒という空前絶後な心臓を搭載。
40馬力のMVXをリリースしようという直前にスズキから驚異の45馬力が・・・
スズキRG250γ。ワタシの愛機です(笑)。当然完勝でしたが長くは続かず・・・
結局、最後はホンダが2サイクルでも覇権を握りましたヨと云ったハナシに。
当時は中型限定免許で乗れる400CCが、高校生が抱く現実的アコガレの対象でした。
そんなワタシも大学生になってから乗ってたカワサキZ400FX。デカくて重い中型。
とにかく4サイクルのマルチシリンダーでツインカムってところがミソ。
でも、中型免許で乗れる本格的マシンの口火を切ったのは、遡ってホンダからでした。
ホンダドリームCB400FOUR。初期型は408CC、Ⅱ型は398CCで中免用。
“4into1”の美しいメーカー純正集合マフラーは芸術的ですらありました。
で、80年代に戻れば、結局直系の子孫が16バルブで覇権を握ったと。最後はホンダの勝ち。
ホントは同じ世代なのに、まったくアプローチの異なるマシンもありました。
ホンダCB250RS。4サイクル単気筒で車重が軽く、立ち上がりが秀逸でした。
ああ、コレ欲しい!当時友達が乗ってたんで馴染み深いなぁ・・・
ホンダ(ホークⅢ)CB400N。バランサーシャフトが効いて振動が無かった。
その時代の国内向けトップモデルが、ホークⅢと同じデザインイメージのコレ。
ホンダCB750F(FA)。当時タンデムシートになら乗ったコトあります。
そして、ワタシ高校生の頃に最高峰と目されたのが輸出専用モデルだったコレ。
ホンダCBX。ネーミングのシンプルさと裏腹に直列6気筒!のツインカムを搭載。
世界初の市販6気筒二輪車は“ベネリセイ”でしたが、本家のホンダは完成度が高いナ。
ホンダCB1100R。上のホンダCB750Fが進化した究極の姿。
一方、コレなんかはフルカウル&ターボ付きの高級グランドツアラーですから。
ホンダCX500。量産二輪車としては世界初のターボチャージャー搭載車。
ザ・珍車(笑)、ホンダ EARA(エアラ)。フルオートマチックなんですから。
初代のホンダゴールドウイングGL1000は、国産ナナハンオーバーの嚆矢。

 ↑我が青春時代と完全にオーバーラップする70年代後半から80年代初頭までの二輪車は、こうして一気に概観するダケでも文字通りに百花繚乱。社会風紀と制度上の問題で、ワタシ世代が最も大型二輪免許を取り難かったんですが、今となっては、だからこその百花繚乱だったのだなと懐かしく思い出されます。本日御案内した70年代以降のモデルたちは、ドレもみなプラモデルやミニチュア化されてお馴染みのモノばかり。実車の方もモノに拠っては天上界価格までプレミアが付きまくっておりますね。カワサキZ400FXには当時乗っててヨカッタわぁ。

 それじゃー、また明日。

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6 Replies to “ホンダコレクションホール(二階の展示①)”

  1. 「F」と書いて「ふぉあー」と読むのはバイクでしたっけ?

    本日、池袋の裏路地の西武池袋線開かずの踏切で、まさにイヤホンした「カブ」に右後ろからぶつけられそうになった事を思い出しました(苦笑)

  2. ずらりと並んだ二輪車、圧巻です。
    当時のホンダ車以外の車両も展示されているのがいいです。
    青春時代が蘇りますね。

  3. バイクはよく分かっていませんが、ライバルメーカーも一緒に展示するとは、なかなか粋ですね。

  4. 二輪も奥が深くて。
    90年代末は、当時のWGPに注目しており、RIDING SPORTS誌を購読しておった次第。
    GP250クラスで、原田哲也、ロリス・カピロッシ、バレンティーノ・ロッシが鎬を削っており、アプリリアに憧れたもんですが、今見るとアプリリアって、造形があんまりカッコ良くなくて(笑)。
    その後、ロッシがホンダで大活躍後、「ホンダで全てを遣り尽くし」戦闘力の劣るヤマハに移籍し大活躍し。
    ああ、懐かしひ。
    最近、ユーチューブで知ったのですが、天才ロッシが唯一サインをねだったノリック阿部典史が、事故で亡くなった現場がつい近所で。
    なんだか、随分とトシをとってしまいました。

  5. 後出しコメント:RZに、VT、ガンマ、そして、CBXと懐かしい。うちは厳しかったので、バイク免許もダメだし、バイク購入なんて、高嶺の花でした。シノザワくんはガンマ乗っていたな、

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