ハイソフトとボンタンアメを懐かしむ。

 昨日か一昨日、ドコかで脚と足を広範囲に蚊に刺されてまして、一夜経ったら両脚ともにハレハレとなったワタシ(泣笑)。同じように腫れまくってた「たこヨメ」さんが、思い切って義姉のバイト先の皮膚科を予約してみたら、待たされるコトもなく難なく診療を受けるコトが叶い、虫刺されに効くという塗り薬をもらってまいりました。そんな義姉が「たこちゃん好きそうだから、アゲる!」とワタシ向けにくれた懐かしの飴が、アパートに帰ると鎮座しておりましたんで、今日はソレがネタ(とっても安直だワ:泣笑)。あ、薬の方も効き始めたみたいデス。

うゎ、懐かしぃ!森永ハイソフト。「“日本の美しい橋”カード入り」だって。
今や栃木の工場で作ってるんだぁ。オリオンに合わすのはムリ、山崎なら(笑)。
で、開ける前に「大好きな錦帯橋が出るといいね」って云ってたら、いきなり出た。
錦帯橋の近所が御実家と仰る「さいたまのN」さんと、先日盛り上がったばかり。
先日、「BIANCOΨUNO」さんから頂いた幻の山崎を背景にしてボンタンアメ。
コレには、遅れ馳せで20代の頃に大ハマりして、一生分喰ったワ(笑)。
コチラは鹿児島が誇る有名菓子ですモンね。変わらぬウマさに乾杯!

 ↑森永ハイソフト、このパッケージを見ると亡き親爺を思い出します。彼のクルマのグローブボックスには、必ずこの茶色い箱が入っていたモンです。戦中戦後、心底甘い物に飢えた経験が、おそらくはそうさせたのでしょうけれど、親爺はトコトン甘党だったなぁ。明治チョコレートボールかアルファチョコもグローブボックスの住人でした。そのくせ糖尿なども患うコトが無かったのは僥倖?だったかも知れませんね。ハイソフトやボンタンアメ舐めながら山崎呑むのは、やっぱヤメておいた方が良さそう(笑)です。甘党・辛党の両刀(党)使いはツラいワ。

 それじゃー、また明日。

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5 Replies to “ハイソフトとボンタンアメを懐かしむ。”

  1. 錦帯橋は一度行ったことがありました!ボンタンアメ、ザボン(ぶんたん、ぼんたん)、かるかん饅頭は、親父の田舎よりいつものお土産で、飽き飽きしていました(笑)。たこちゃんは、ブヨ(ブユ)にやられたかな⁈ お大事に!

  2. ワタシにとっては森永ハイソフト、ハイクラウンはめったにお目に掛かれない高級お菓子の両雄でした。

    ワタシの父もよく車内で色々食べていました。
    昭和10年代生まれはアンパンじゃないでしょうか?

    ハイソフトに山﨑、いいですねぇ!
    ストレートに少し加水してちびちび嘗めつつ・・・
    プラモが捗ると思うんですが。

  3. ボンタンアメ
    オブラードで包まれているのが不思議でした。
    どうしてあれでOKなのかと…
    大正13年生まれだとか。

  4. ハイソフトとボンタンアメ、懐かしいですね。
    ボンタンアメがたへたくなりました。
    ヲジサンになり、酒を飲むようになった近頃、ハイソフトは甘すぎです。
    昔は甘いもの、塩辛いもの、両方大好きだったのですが。
    歳をとると食感が変わり。
    甘すぎると、だるくなり。
    あと、何を食べても塩辛く感じるようになり。
    身体が、糖分や塩分の取り過ぎを察知し、健康への危険信号として食感が変わるのかも。
    だったら、何故、酒は、歳を経る度に飲む量が増えるのでせう?

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