としまえん“練馬の子ら”の追憶、再び

 今日はね、もう最初に謝っておきますが、ネットから拾い集めた貴重な画像を、それなりに加工してコラージュしてあります。“練馬の子ら”にとって、あまりにも近しく空気のような存在だった“としまえん”。ついに無くなってしまうという日が、来月の31日に決まっているみたいです。日曜日の某民放ラジオ番組で、中野区出身だと仰る人気お笑いタレントの方が、としまえんの閉園に因んで「アフリカ館」についての思い出をかなり熱っぽく語っていたというハナシをヨメから聞きまして、「そりゃオレの方がゼッテー詳しい!」と対抗意識のままに・・・

嗚呼、ワタシの知らない間に、ついにと云いますか、とうとうと云いますか、とにかく公式に閉園日程を発表しちゃいました(泣)ね、西武鉄道さん。
豊島園と云えば、ワタシがおそらく一番数多く乗ったのがコレ。シンプルで真っ当な在り方のジェットコースター、「サイクロン」です。ワタシは今でも、その全行程をクチ三味線(笑)で再現出来ます。プールのあとで夕方に乗りますと、行程のファイナルにある冷気漂うトンネル内がサイコー!その清涼感とともに、轟音に紛れつつ「〇△◇◎~!!!」などと主に放送禁止用語を絶叫する(笑)爽快感には忘れ得ぬヨロコビがありました。
そして夏のド定番「フリュームライド」です。こういった水でビシャビシャになる系のライドを、日本で最も早く取り入れた例だと思われます。人気がある(&一度に乗れる人数が少ないので回転率が良くない)んで、いっつも長蛇の列だったイメージが強く残っています。
俗に云う「アフリカ館」なんですが、ワタシは鳴り物入りで宣伝されていた開業時期に「アドベンチャーゾーン、アフリカ!」と今は亡き内海賢二さんの声(声優さんは別のヒト、例えば広川太一郎さんあたりだったかも知れないケド:笑)で聴いた覚えがあるモンで、小学生の頃もチャンと正式名称で呼んでました。上に在る当時の雑誌記事にもそのように英文表記しています。然れども建物のメイン看板には単にAFRICAとダケある(笑)。園内のアチコチに在った案内看板でも「アフリカ(コッチ)→」的な表記であったように思います。この牧歌的なイイ加減さ(ツメのアマさ)が、如何にも豊島園らしいところではあるな。開業時期がEXPO70(大阪万博)直前の1969年らしいので、万博パビリオン的な云い回しの方が伝播して「アフリカ館」と呼ばれるようになったのかも知れませんね。
今思うと、当時としては結構良く出来てたんだよな。そりゃね、ずいぶん後になって出来た千葉の浦安や大阪の此花区桜島みたいな洋モノには敵いませんケドね。我々の乗るジープ型ライドの頭上を、後ろからトラだかライオンだかが飛び越えるようにトンで来てビックリさせる演出があったんですが、通り過ぎたあとに後ろを振り向くと「じー」という動作音とともにトラだかライオンだかが、後方にバックして所定待機位置に戻るのが見えてしまうところもカナシゲで好きでした(笑)。「サヨーナラ・・・サヨーナラ」との音声付きで手を振るエールフランス?のスッチーさん方。制服にもバリエーションがあったんですね。
中の行状はウゲウゲなので載せられず(泣)。も一度、最後に行ってみたいのがミステリーゾーン。昭和41年から今までずぅ~っと現役なのが、驚異の世界です。国内に現存するダークライドアトラクションとしては最古の一つだと思われますが、コレも無くなっちゃうのかと思えば、相当カナしいっす。
皆さんの追憶の中にあるセピア色の豊島園。左下の正門外構デザインが超懐かしい・・・ウォータースライダーが昭和20年代に在ったとは驚き。現在も流れるプールの内側にある通称大プール(またの名を競泳プール)は実に大正年間から在ったんだそーで、日本遊園地史に間違いなく残る事実を我々“元練馬の子ら”が語り継いで行かねばと思うモノです。
としまえんの象徴、カルーセル・エルドラド。写真映えはするけれど、乗ってオモロイもんじゃないとコドモの頃には思ってました。でも、機械遺産ですからね、どのように残すんでしょうかね。

 ↑このネタを書くに際してウラを採るため、ウィキペディアに載ってる「としまえんの乗り物」ってページに目を通してみましたが、不完全なるコトこの上ない(泣笑)んで、加筆させて欲しいくらい。そのムカシ(今もある)、豊島園には「木馬の会」と云う、昨今の言い方に倣えば「年間フリーパス」というのが存在し、ワタシが小学4年生の頃に、父親が「コレはお得だ!」と血迷って(笑)、ソレの家族会員っつーのに入会してくれていたのが幸か不幸か(笑泣)。このパスの万能感は相当なモノで、豊島園そのものの入園料、園内すべての有料アトラクション(一日の乗車回数無制限)、そして単品で買うとヒジョーに高価なプールへの入場や、(当時はまだ在った)ローラースケートリンクへの入場と貸し靴までもがフリーとなりますから、そりゃベンキョーそっちのけで、平日の放課後に豊島園に行って遊びまくるという暴挙に及んでいたのであります。拠って1973年から1978年の5年間に関しては、「豊島園の生き字引」と自ら標榜してもいいのではなかろうかと自負しておりやす(なんだかイバりが効かないナァ:泣笑)。そうでなくとも、毎週行われていた花火大会の迷惑料代わり(実際、風向きに拠っては色んなカスが飛んでくるんです)か、豊島園近隣の各町会には「入園券・プール入場券・乗り物券(値段に関わらず使える)×3枚」のセットチケットが各戸のアタマ数分配られるといった麗しき習慣(笑)もあったモンで、もう原則的に「豊島園はタダで行く」モンだと勘違いしておりましたヨ。オトナになって自腹切ったら超損した気分でした。

 上の画像に載せたアトラクションの他にも、冬季オリンピックのボブスレーを模したヤツとか、テレコンバットやオートスクーター。エレクトリックゴーカートとその跡地に建ったシャトルループ(ドチラも稼働率激ワルだったのは、何かの祟りか:泣笑)。ローラースケートリンクの跡地に建った、お化け屋敷(前述のミステリーゾーンとは別物)や迷路の入ったブース。有名どころではフライングパイレーツやコークスクリュー辺りが印象深いです。地味ながら昆虫館つーのも在りましたな。

 「7つのプール」にも思い出がたくさんあります。特に、ハンバーガーの香りとタンメンに入れたGABAN黒コショウと塩素の混じった独特の臭気(笑)は、無くなってしまう前に、もう一度嗅いでみたい懐かしの芳香です。なんとなく流れるプールにプヨプヨと浮いてみたいし、ハイドロポリスにも30年振りにチャレンジしてみたいモノです。

 色々と調べていたら、ムカシの「西武豊島線(西武池袋線の練馬⇔豊島園間を特にそう呼称する)」について記述した記事に辿り着き、コレまた懐かしいホームの風景にウットリしました。豊島園駅もそのうち名前が変わっちゃうのかな。「ハリポタパーク」になるんでしょ?せっかく練馬に在るんだから、練馬区と西武鉄道と東映(と東映アニメーション)、そして練馬区在の全アニメ制作会社とが提携して「古今東西ジャパニメーション&東映特撮ランド」にでもすればよかったのになと悔やまれてなりません。今からでも、どーにかならんモノかとぞ思ふ・・・

 それじゃー、また明日。

9 Replies to “としまえん“練馬の子ら”の追憶、再び”

  1. たこちゃん、「豊島園のおもひで」は是非とも連載化され、次回は「豊島園とアニソン!」でお願い致します。
    こちらは急な落雷集中豪雨です(涙)

    尚余談ですが、Facebookに載せたコロナ感染の余波で、ホリエモンや孫さんの出身校は休校中です。。。。

  2. おっしゃる通り、としまえんはお金出して行くところではないと思っていました。
    花火も綺麗だけどやかましく、犬は怖がることしきりでした。
    木馬の会でよく行ったのがフィールドアスレチック。
    今は亡き友人が池にハマって大変だったのもいい思い出です。
    あ、高校生の頃、女子寮にお邪魔したこともありました。
    なんだかんだ言って無くてはならないものだったのかも(苦笑)。

    東映と組んでアニメのテーマパーク、いいですね。

    ハリポタは横浜に行ってくれないかしら。

  3. としまえん、閉園で残念ですね。
    こういった昔ながらの遊園地が廃れて寂しい限りです。
    でも、ここまでよく頑張ったと思います。

  4. >アフリカ館(AFRICA)は、1969年7月19日にオープンし、1998年に運営を終了した乗り物。
    ん~、98年までなら、確実に何度も言っているはずなんですが、まったく記憶がありません。
    私はインディアンですね。友人と男気・根性!、連続で何度も何度も乗って、本当にヤバイ状態になったのが今となってはいい思い出です。

  5. 我が家も子供達が小さい頃は木馬の会に入っていてそれなりに通いましたがあたしゃ昆虫館が好きでした。あのメリーゴーラウンド、思ったより新しいんですね。

  6. 絶叫した放送禁止用語って、なになに?
    まさか、◯◯◯だなんて!
    豊島園の閉園の報を受け、たこちゃんは良き思ひ出を胸に秘め、追憶の夜は更けてゆく・・・。

  7. としまえん
    年増えんでは
    ありません

    練馬在住半世紀、としまえんにはほとんど行ったことがない!んです。残念。

  8. 子供の頃は都電沿線の荒川遊園派(笑)だったのでとしまえんにはご縁がありませんでしたが、社会人になってからは生命保険のお姉さんにタダ券をもらって、仲良しグループでプールに行ったり遊園地で遊んだりしていました。

    真夏の最盛期に行ったら流れるプールの水がドドメ色になっていて(驚愕)、イヤイヤ腰まで浸かって横断したら、その夜に体調が急激に悪化したのも今となっては若き日の思い出です。バイキンって…怖っ!

    1. ↑皆さんコメントを有難うございます。
      「北区のK」さん、コメント拝見して思い出しましたケド、そーなんです。ヤバイ日が練馬の子らを苛んだコトもありました。確か9月1日だったか、練馬の公立小中学校に通う児童生徒が全員プール無料になるってスペシャルデーがあったんです。とーぜん全員がイキまして、で翌日に逝く(笑泣)んで、学級閉鎖級の問題になったコトもありましたっけ。サイワイにもワタシ、そん時ゃ行きませんでしたケドね。普段の空いてる時に行ってたんで。イッたヤツのハナシを聞いたら、おんなじコト宣ってました。流れるプールがドロドロだったって(泣)。麗しき思い出ばかりでもなさそうですね。

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