嗚呼、追憶の首里城(その2)

 衝撃の火災からちょうど一週間が経った首里城。報道の方も日に日に地味な扱いになっておりましたが、昨今の様に次々と様々な事件や事故、災難が起こってしまいますと、我々自身も日常生活に追われる身ゆえに、そのひとつひとつに心を砕いている暇がございません。全国各地には今だ大きく被災したままの地域がたくさん残っておりますが、ボランティアの方々も分散してしまっているようで、なかなか復旧出来ない場所も多いようです。そもそもボランティア頼みではなくて、国やら各自治体が一致団結して、有能な指揮者と人材を送り込みつつ、短期間で一気に解決するようなコトは出来ないものかと願うばかりです。

 ワタシに出来るコトと云ったら、こうして在りし日の首里城の姿を拙いブログでお届けするくらいのモノですが、何かの足しにはならんものかと願って書きます。本日は前回記事の続き、2015年12月27日の首里城内に入ります。

開門時間にまだ間があるので、周囲を散策、「奉神門前の天水甕」とある。
コレがその天水甕のレプリカであるらしい。
奉神門の前では、開門の儀みたいなコト(観光客用?)が始まりました。
時に轟音がビリビリと響き渡り、頭上を見上げれば、F-15の2機編隊。
いよいよ首里城内に入ってまいりましょう。
中に入ると、ステキな中庭に出会いました。あくまで和風?・・・
・・・と思えば、なんとなく南洋ムードと折衷してます。
首里の街並みが眼下に見えています。ちょっとお殿様気分です。
奥書院と呼ばれる、執務中の国王が休息した場所だそうです。
そう広くはないですね。京都あたりの御殿より質素なくらいです。
2階御差床(うさすか)・・・正殿内の二階にあります。
二階で国王はこの玉座に座り、様々な儀式や祝宴を行っていたそうです。
御差床の向かい側には唐玻豊(からはふう)と呼ばれる空間。
正月の儀式や中国皇帝への親書を送る時などに、唐衣装を纏った国王が、椅子に座って儀式を執り行いました。この椅子は・・・ちょっと違うっぽいな。
正殿内の宝物は本物だったのでしょうか、複製だったのでしょうか・・・
コレには複製品と書いてありますが、焼失してしまったかな・・・
せめて金属製のモノは助かっていると良いのですけれど。
素晴らしい出来栄えの木造骨格模型でしたが・・・
正殿1階の御差床(うさすか)。背後の階段は二階に繋がります。
この正殿は、悲しいかなこのたびの大火で全焼してしまいました。
2階を大庫理(うふぐい)、1階を下庫理(しちゃぐい)と呼ぶようです。
創建以来四度の焼失と復元であったのが、五度目となってしまいました。
床下に遺された以前の基礎部分もディスプレイされていたのに・・・
「上御茶の間御飾」は「うえおちゃのまおかざり」とフツーの読み。
コレがその「上御茶の間御飾」です。ワビサビ入ってます。
今度は、正殿を出て、北殿の方に入ってみましょう。
入口の待合所は、極く今様な作りです。
よく出来たジオラマ展示を鳥瞰(今風に云えばドローン瞰?)する。
ほら、こうして下の方から見上げるように撮ると結構リアルでしょ。
ニュースでヤッてましたが、今までの再建に力を発揮していた、古来からの伝統技術を持った職人さん方も、今やほとんどいらっしゃらないようです。

 ↑北殿の展示は、大きなジオラマとボード展示が主で、そのボードもほとんどが、各国首脳が当処に集まって大きな政治的行事を行っただのといったワタシのとっては興味の薄いモノでした。ささ、オモテに出ましょう・・・

「寒水川樋川」と書いて「スンガーヒージャー」・・・読めねぇ~!
コレがその、「スンガーヒージャー」です。
「歴史を語るアカギの大木」とな・・・
沖縄で見られるガシュマルかと思いきや、由緒ある枯れ木とのコラボ。
史跡 首里城跡の石碑と記念撮影。まだ若いなぁ、52才のワタシ(泣笑)。
駐車場に降りる前、もう一度守礼門を遠目に見学いたしました。
首里城公園のオモテに出ますと、沖縄県の公文書館が。
こういうところにも、首里城再建のカギとなる文書があるのかな?

 ↑というワケで、前後二回に分けてお届けしたたこちゃんズの首里城探訪篇はコレで完結ですが、首里城の再建には、まだまだ乗り越えなければならぬ壁が数多くありそうです。寄付金も三億円くらいは集まったらしいですが、実際のところドレくらいの期間とコストが掛かるのでしょうね。沖縄の魂ですから、何とか一日でも早く旧に復していきたいところです。

 それじゃー、また明日。

5 Replies to “嗚呼、追憶の首里城(その2)”

  1. 再建も、瓦焼ける様な職人さんがもういない、ノウハウ残って無い、木材はじめ材料が無い、燃えても残っているもので使えるものは使って欲しい、と文化的価値のあるものはその修復、維持が大変なんですよね。
    何だか、失礼ながらMaserattiみたい。

    あ、あとは「寄附金」が(苦笑)。。

  2. 今となっては貴重な画像となってしまいました。
    悲しい出来事です。
    沖縄には行った事がありません。
    ですが、いつか行ってみたいと思います。

  3. なるほど、日中折衷の仕様ですね。
    宝物が少しでも消失を免れていることを祈るしかないですね。

  4. 貴重な写真、拝見しました。
    木材の調達も困難極めるようですが、いつかまた再建を願いたいものです。

  5. 首里城の
    再建祈る
    民の声

    こうして焼失前の内部の外部の写真がネットにアップされることはいいことですね。職人はいなくとも、なんとかかんとか再建して頂きたいです。そして6回目の焼失を起こさない対策をしっかり講じて頂きたいです。

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