ホンダコレクションホール(一階の展示)

 本日のメカトリエ界隈では、ずぅ~っと南からの強風に吹き付けられる屋外作業となりましたが、ちょうどガソリン被りつつ(泣笑)シゴトしてましたんで、揮発臭もほとんど気にならずラリラリにならなくてヨカッタです。とても写真を撮ってるヒマが無かったモンで、このネタ。

まずは、広々としたエントランスに、往年のF1と二輪のレーシングマシーンが。
ホンダは世界自動車史的にも珍しい二輪と四輪両方の製造で生き抜いたメーカー。
そして、その技術は世界のレーシングフィールドで磨かれてまいりました。
1961年マン島TTレースでの初優勝車には伝説のマイク・ヘイルウッドが。
その一方で量産車の方でも、その抜きん出たトータル性能でトップセラーに。
1958年当時、4サイクル50CCで4.5馬力は、まさに驚異の世界でした。
創業者である本田宗一郎御大の軌跡を辿れば、その源流もレーシングシーン。
1924年、わずか18才の砌でレーシングマシーンに関わっていたとは。
他に大勢の従業員がひしめく中で頭角を現し、若年での暖簾分け。
第二次大戦後は、全国に原動機付自転車用の原動機メーカーが林立しましたが・・・
フューエルタンクに湯たんぽ(笑)を流用するなど、創意工夫に溢れております。
それでも、戦後わずか4年で本格的なモーターサイクル市場にも参入。
2サイクルエンジンで3馬力。2段変速では加速は緩慢だったことでしょうね。
そして、原初のカブエンジンセット。白い水筒みたいなのはフューエルタンク。
タンクとエンジンは、それぞれ絵の様に括りつけられました。
コチラは、ホンダの持つ二面性を表象する製品。
こうした実用品そのものな汎用エンジンも、丈夫で長持ちならば重宝されます。
今でも存在する“こまめ”シリーズの源流となる耕耘機。メカトリエにも欲しい。
そんな実用的で生活をベンリにする製品も、極限技術から生まれるワケです。
1959年に初出場したマン島TTレースで入賞を果たした記念すべきマシン。
実用車の販路もインターナショナルに。タンデムシートのスーパーカブです。
そして、ついに二輪での成功を礎にした四輪車業界への参入を目論む。
いきなり作って、このデザイン的な完成度はスゴい。ぶっちゃけ欲しい!
インテリアを覗いてみても、当時欧州の本格的マシーンと比べて遜色なし。
フェンダー上のモールは溶接しろの繋ぎ目隠し。創意工夫で金型コストを低減か。
その10年後には、国際的な公害問題。いち早く画期的手法で対応したCVCC。
70年代中盤からは馬力競争にも終止符が打たれ、排ガス規制対応への明け暮れ。
と、主にホンダの草創期から、宗一郎御大が現場から退くまでを概観しました。
「さぁ、次は二階にアガってみよう」・・・二輪も四輪も楽しみだナ。

 ↑ワタシの場合には、とにかく“企業ミュージアム”と云うのには目が無いんですが、今までの経験では入場無料でスゴいモン見せてくれるところがキモ(笑)なんですよね。このホンダコレクションホールの場合にも、事前に調べたら入場無料とあったんで、駐車料金千円ダケ払えばイイのかなと思っておりましたら、結局のところは、サーキット(旧ツインリンクもてぎ)を擁する“モビリティリゾートもてぎ”なるレジャー施設(っつーか、遊園地)への入場料としてオトナ一人1800円也。入場ゲートで合計金額「¥4600円でぇ~す!」って云われた時ゃクラクラしました(泣笑)ヨ。ココと遜色のない展示内容(二輪&四輪+自動織機)を持ったスズキ歴史館なんか、駐車場すら無料だったのになぁ。宗一郎御大だったら、無粋な料金徴収はしなかったと思ふなぁ。

 それじゃー、また明日。

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8 Replies to “ホンダコレクションホール(一階の展示)”

  1. 宗一郎さんが居た頃のホンダがいいですね。
    正直、現代のホンダの中で宗一郎さんの頃のスピリットが生きているのか分からないです。
    社用車に最終型のインサイトがありますが、まぁつまらないわ頼りないわ…。

    スズキ歴史館はお客さんに優しいですね。
    スズキは今でも庶民のために車を作るという使命を果たしていると感じますね。
    入場・駐車場無料なのはそれの表れでしょうか。

  2. こう見ると、今のHONDAのどこにも創業者のDNAはあるのでしょうか、と疑問に思います。
    バブル時代、レジェンド2ドアクーペからバラードCR-XSi(AT😅)、プレリュードと大学3年間は「軟弱とはいえホンダ!」だった私としては寂しい限りです。。(残り1年がユーノスロードスターVスペシャル。。)

    今青山のホンダビルより、確か八重洲の鍛冶橋通り横のホンダの芝刈りとかなんかの「内燃機関屋さん」のほうが早く東京に来ていたという様な記憶が。。。

    たこちゃんが明日は、強風から黄砂に襲われない事を祈ります。

  3. 合計¥4600ですか。いやはや。
    それにしても、貴重なバイクやクルマの数々。
    ホンダスピリッツが感じられます。

  4. S600って出た時はチェーン駆動なんですよね。
    2輪メーカーならではのアイデア?
    それにしても宗一郎さんのような傑物は今後の日本で出るのでしょうか?
    スポーツ選手はスゴイのが出ているのですが、なにやら技術者や経営者ではどうも…

  5. レジェンドクーペ、かっこよかったですよねえ。
    あれ好きでした。

    入場料もなんですが、これって動物園じゃなくて剥製の並ぶ博物館なんですよね。
    勿論じぶんも一度は行ってみたいし、、行ったらヨダレ垂らしながら身を皿のようにしてみて回ると思うのですが、全部動態保存してくれないかなとか思うわけです、ホンダなんだから。

  6. インバーター発電機もホンダのは頭一つリードしている感があるように感じます。
    こまめちゃんのカセットガス仕様の「ピアンタ」をたこヨメ様にはお勧めします。

  7. 後出しコメント:我が人生振り返ってみれば、HONDAとの接点一切なし!でした(泣)。社会にでてお世話になった方が、「本田」という名前のであったくらいか。。。

  8. この頃のレース用のオートバイは、仮面ライダー1号が駆るサイクロン号のようなフォルムで。
    高橋国光がマン島TTレースで派手にクラッシュした時のマシンも、このような形をしていたのでしょうか。
    ああ、なんて美しい、、、

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