夕方に千葉拙宅から東京の仮住まいまで舞い戻って来たんですが、しろラムちゃんから降りたら、余りの寒さに震えアガっちゃいましたヨ(泣笑)。東京、寒いっすねぇ。車中で聴いてた沖縄のラジオ番組じゃ、10℃切ったら超絶極寒扱い(笑)なんで、裏山しーったらありゃしないよなぁ。
さて、本日も昨日からの続きでっせ・・・



















































成田市観光協会の公式サイトに拠れば、「宗吾霊堂は、宗吾様の名で親しまれる古刹で、9月第一土・日の御待夜祭や紫陽花名所として知られています。開基は古く、桓武天皇の時代に征夷大将軍・坂上田村麻呂が、房総を平定した時に戦没者供養のために建立したと言われています。」さらに「正しくは、鳴鐘山東勝寺といいます。成田といえば新勝寺が先に思い浮かぶかと思いますが、新勝寺は東勝寺より新しい寺という意味で、この名がつけられているのです。」と云うコトで、御寺自体はたいへん古くから存在していたらしいのです。
また「日本の墓(著名人の墓)」と云うサイトには、佐倉惣五郎についての解説があり、「彼についての資料は、確実なものがほとんどない。後代の人によって作られたものが多く、実在の人物ではないという説まで出たことがある。とはいえ、いくつかの伝説をはじめ、講談や芝居で語り継がれてきたように、義民の代表格である。当時の印旛郡佐倉藩主は堀田正信。百姓たちは重税にあえいでいた。困窮した彼らは、先祖伝来の田畑を売り払い、離散する者も出たという。租税はますます重くなり、百姓一揆を計画するまでに追い詰められた。その指導者が佐倉惣五郎である。まずは江戸屋敷に訴えたが顧みられず、次に老中に駕篭訴するも下戻しとなり、ついに将軍・家光に惣五郎が単身直訴。その願書は、堀田正信に下げ渡された。正信は減免を命じ、家臣に責任を問うたが、家臣は惣五郎一人に罪を着せ、夫婦と幼い男子四人を極刑にしたという。夫婦は、我が子が殺されるのを見た後、磔刑になった。数年後、堀田氏は没落。惣五郎夫婦のタタリと言い伝えられている。墓はいつ頃からか鉄格子の門で閉ざされている。見事な多宝塔の墓は、後世に誰かが建立したのであろう。」
その将軍直訴に向かう途中で、昨日御案内した甚兵衛渡しの逸話が生まれたというワケで、渡し舟の甚兵衛翁も義民として尊ばれていたんですね。幾重にもドラマ性があるハナシなんで、講談や浪花節、歌舞伎の演目にもアレンジされ、有名なスポットとなった様子が窺えました。有名歌舞伎役者の植えた記念樹や松竹(歌舞伎座を擁する)の名前が彫られた壁石にはそういったワケが在ったんですね。
宗吾霊堂の周辺は、極く普通の住宅街なんですが、地名も成田市宗吾とか宗吾台って云うんです。また、京成線の宗吾参道駅からも徒歩10分ホドです。成田空港への道すがら、ちょっと途中下車して立ち寄ってみるのは、旅の行き帰りに面白いかも知れません。
ホントは、いつも通りすがりで気になってた洋食屋さんの開店時間を待つ間の時間調整に立ち寄ってみたダケなんですが、以前(30年位前:笑)から「案内看板がアチコチに在るのに一体ドコに・・・」と思っていた宗吾霊堂にようやく相まみえたのは、縁ある渡し舟甚兵衛翁のおかげですかね。美味しいランチにも一番乗り出来てヨカッタです。成田、酒々井、佐倉・・・まだまだ千葉県内北総地域にも、探検の余地は多々残されているようです。目の黒いウチに回り切れるかなぁ・・・
それじゃー、また明日。
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宗吾参道駅近くの宗吾霊堂ですね。
昔、夜中のドライブで成田付近を走った時に通りました。夜中だけあってか、なかなか独特の雰囲気を醸し出していました。
洋食屋さんのかわいらしい外観に懐かしさを感じるインテリアやメニュー、たまにはこういう味のあるものを食べてみたいです。
丸ノ内線の500形電車のブリキのおもちゃもなかなか乙です。
赤い車体にサインウェーブ、このデザインこそ丸ノ内線ですね。
一部の車両はアルゼンチンに渡り、活躍した後に中野の車両基地に里帰りした車両もいますね。
なかなか行けない宗吾霊堂、なかなかの穴場です。
堪能させていただきました。
ご自宅の雪の残像にびっくりですね。
ご近所に日本の原風景が。
街の洋食屋さんも、最近は少なくなりまして。
歴史探索と街洋食、なんだか贅沢です。
「正しくは、鳴鐘山東勝寺といいます。成田といえば新勝寺が先に思い浮かぶかと思いますが、新勝寺は東勝寺より新しい寺という意味で、この名がつけられているのです。」、なんで新勝寺なのかなと思ってましたが、そうだったんですね。