本日で、あの“3.11”から9年目を迎えたということになります。それぞれの被災経験を胸に、あの日初めて大きな揺れを感じた時間には黙祷を捧げた方々もいらっしゃったかと思います。地震やそれに伴う火災、津波や原発事故によって、御家族を喪い住処も故郷も奪われたままの被災者方は、9年を経過した今もなお、身も心も彷徨っていらっしゃるのではなかろうかと思います時、心を痛めずには居れません。
一方で、日本全国への影響が大きく懸念されていた放射能に起因する健康被害に関しましては、9年が経過した今では、それを語る事自体が憚られるくらいに表立っては居りません。津波に拠る福島第一原発のメルトダウン事故は衝撃的で、テレビの画面を食い入るように見つめながら「コレで日本も御仕舞いだナ・・・」と本気で思い、冷ややかな戦慄を覚えたのも、9年も前の出来事になったのですね。昨今の新型コロナウイルスと同様に、放射線を浴びた事に因って引き起こされる健康被害は、その全体像の実態が極めて掴みにくい上、仮に何らかの疾病に罹患したとしても、放射線との因果関係を立証するのは不可能に近いため、「なんとなく身体の調子が思わしくない」と思いつつも、寿命を全うするまで生きていくしかありません。福島では第二原発の方も廃炉にするそうです。首都圏の電力を担っていたために、大規模な設備を誇っていたという原発群・・・しかしながら、それらが稼働停止のまま9年が経過して、今や「無くてもなんとかなってるじゃん」と思うのはシロウト考えなのでしょうか。仮に原発を復活稼働させれば、電気料金を大きく値下げ出来るとでもいうのでしょうか。事故当時、当然国内に在るすべての原発は順次稼働停止とし、何十年掛かってもすべて廃炉にするものと思っていた身にとりましては、現況には違和感しか残りません。ソコで久しぶりにそういった関連のサイトを覗いてみました。日常生活に追われていて、知らなかった事実がたくさんあるようです。マスコミも、センセーショナルに取り上げてくれるのはせいぜい数か月。今の新型コロナウイルス問題だって、そのうちに雲散霧消してしまうのかも知れません。まぁ、誰しもツラい出来事は早く忘れてしまいたいというのは理解出来ます。でも、忘れようにも身体的精神的苦痛が残っていたらどうでしょうか・・・世の中は複雑です。一元的に物事の良否を捉える事が出来ないだけに、国が様々なファクターを勘案し最大公約数的なアクションを起こした結果として隅っこに追いやられた一群には、今後もなかなか日が当たる事が無いように思えます。隔靴搔痒な気分です。
吉田昌郎・元福島第一原発所長(ウィキペディア・現代ビジネス)
福島第二原子力発電所の廃止について(テプコ公式・日経ビジネス)
廃炉作業の状況(テプコ公式・燃料デブリ取り出しの状況)
福島第一廃炉推進カンパニー小野明代表インタビュー(NHK公式)
↑以上のサイトを一覧しただけでも、これまで理解していなかった事、これからの数十年に起こり得る事が少しは見えてまいりました。自分も含め科学文明を享受する世界に生きざるを得ない人間達の、業というものを感じます。最前線に立ち逝った人々の屍を乗り越えて・・・
「合掌」
それじゃ、また明日。
復興が進んだとはいえ、まだまだな部分もあります。
現地でご苦労されている方に、頑張って欲しいものです。
複雑な思いなのですが、上手く言葉にすることができず、つたないコメントですみません。
もう9年かあ。
当時、仙台で被災して路頭に迷ってる人達をよそに、熱に浮かされたような復興商売熱を目の当たりにしまして。
シルバートライデント仮面「復興するんじゃねえ!」と叫んだ次第。
誤解を恐れずに言うと、9年前は、そんなんでありました。
↑奇跡のビドルボだったんですよね。
震災の悲哀は当事者以外は察することしかできませんが
わが身に置き換えて考えてみれば被災者の心の傷の深さは察するに余りあります。
とはいえ、いつまでも戒め~戒め~復興~復興~と賢者モードを続けるのも、それはそれでどうかなぁと思います。
ざっくり10年が区切りなのかと…
昔は今のような鮮明な記録もできなかったのですぐ忘れられたかもしれませんが、現代は個人が携帯やスマホなどで収めた臨場感ある映像が残っていたりするので忘れたくても忘れられないような?…
テクノロジーの進化は諸刃の剣ですね。
震災と
原発事故から
苦年か
まだ続いている東日本大震災と原発事故の影響ですが、まだ道半ば、復興の歩みが積極的に進むことを望みます。新型コロナウイルス感染の蔓延する昨今と、あの9年前の放射線被爆の不安が重なります。